ユウchanロゴ 絵本とおもちゃで子育て、孫育て
サイトマップ
トップ , はじめての方へ , ユウchan 活用法 , おもちゃ , 絵本 , 辞典 , 本の検索 , リンク集 , ヘルプ
インタビュー ▲ 絵本のトップへ
ピンポーンと玄関のベルを鳴らすと、盲導犬候補生だったブラックラブのアルルと奥様が私たちを出迎えてくれました。そして、その奥にエム ナマエさんの姿。今年60歳になるエム ナマエさんは、38歳のときに糖尿病により失明。一時は絵を描くことをあきらめたのですが、昨年末には文と絵ともにエム ナマエさんが手がけた新しい絵本「まちがしあわせになったよる」を出版。絵本にこめた思いを伺ってきました。
エム ナマエさん すべてのことは、天から与えられたこと
――3歳の頃に、寄席の絵を描く

僕は小さい頃から絵を描いたり、表現することが大好きでした。両親は、創作活動など一切興味もなく、「大学=社会に通用するパスポート」と思っていた時代の人だったので、「勉強しろ、東大に行け」と言われ続けていました。

最初に描いた絵の記憶は3歳。祖母に連れて行ってもらった寄席の様子を、家に帰ってきて、一気に描き上げたのを鮮明に覚えています。家の白壁に当時のヒーローだった鞍馬天狗の絵も描きました。自分が描いた絵を見て、人が喜ぶ。子ども心にも、そのリアクションがたまらなかった。

いたずらもよくしました。芸術心が当時からあったのか、母が吊るした真新しいカーテンが何だかのっぺりしていて面白くないと思った僕は、そばにあったはさみで、すそをジグザグに切ってしまったんです。そんな子どもだったから、親にはとにかくよく怒られました。

小学生のときには、絵の教室にも通わされましたが、空想の世界を描くのが好きだった僕は、花や置物を描かされるその教室があまり好きじゃなかったんですね。その後、高校では美術部に入り油絵をやりましたが、大学は法学部へ進学。でも、やっぱり絵が描きたくって、学生の頃から少しずつイラストレーターの仕事を始めました。

専門的に絵の勉強をしたことはないんですが、友だちのアトリエに行ってはどんな画材を使ってどんな方法で描いているのか情報交換をしたり、専門書などを見て独学で勉強しました。


――視力を失っても、表現者でありたい

大学在学中から視力を失うまで、「みつや君のマークX」など、約60冊の児童書や絵本の絵を描いていたのですが、35歳のときに糖尿病と言われ、38歳で失明。その時は、かなり落胆しました。でも、失明の運命を受け入れたとき「死ぬまで表現者でありたい」と思ったんです。

子どもの頃、絵を描くのと同じくらい文章を書くことも好きだったので、「絵が描けないのなら、自分の頭の中にある世界を文章で表現すればいい」そう思ったんです。完全失明するまで、自分には見えない文字で文章を書く練習をしました。失明した年に原稿用紙にして、約220枚の長編童話「UFOリンゴと宇宙ネコ」を書き上げ、第18回児童文芸新人賞を受賞しました。

視力を失ってからは、絵を描くことからは遠ざかっていたのですが、妻が「私たちの結婚式のお返しに絵を描いてみたら。」と言ったのがきっかけとなり、再び絵を描き始めました。

目が見えていた頃の作品を見てもらえばわかると思いますが、「みつや君のマークX」「ざっくりぶうぶうがたがたごろろ」など乗り物などのメカニックな絵、細かい絵が好きだったんですよね。でも、さすがに前と同じようには描けない。そこで、乗り物やメカと同じくらい大好きな動物を描くことにしたんです。

絵を描くときは、ボールペンでかなり力を入れて描きます。筆圧で紙にくぼみができるので、そのくぼみを指で感じとりながら、絵を仕上げていく。描いた絵は見えませんが、頭の中ではちゃんと計算しているのです。

まちがしあわせになったよる
まちがしあわせになったよる
便利になった生活の中で、忘れかけていた大切なものを、思い出させてくれます。
詳細を見る>>
ブックサービスで購入する>>
ざっくり ぶうぶう がたがた ごろろ
ざっくり ぶうぶう がたがた ごろろ
車やパワーショベルなどの作業車が大好きな子におすすめ!女の子にも人気です!
ブックサービスで購入する>>
あしたのねこ
あしたのねこ
捨てられたねこが、あしたの幸せを信じてたくましく生きる感動のお話。
ブックサービスで購入する>>
いつか誰でも
いつか誰でも
ママにおすすめ。心をいやしてくれるやさしいイラストと、心に響く言葉。プレゼントにもおすすめ!
ブックサービスで購入する>>

エム ナマエさん
イラストを描いているエム ナマエさん。
エム ナマエさん
手で探りながら線を描きます。
イラスト完成
エンジェルピッグが完成!

――「まちがしあわせになったよる」で伝えたかったこと
すべてのものは、天から与えられた


1968年、生まれてはじめて飛行機に乗ったとき、空から見た日本は無残だった。海岸線に広がる工業地帯、切り崩された山……。このままでは、地球はダメになるだろうと思った。1969年、はじめての個展「空」を開いたときから、僕のテーマはずっと反公害、反戦争だった。人間は必要以上に欲していて、自然を無駄に消費している。与えられたもの以上のものをむさぼり食っている。

エンジェルピッグは天使の形をとっていますが、われわれに命や環境を与えてくれた神・天地創造神のシンボルです。私たちは、何十億年もかかって作り上げられたその恩恵を常に受けながら生きることを許されているわけです。命を与えられたことだけで十分なはずなのに、これ以上何が欲しいのか……。食べ物にしても、海や山から取ってくるけれど、宇宙や地球が与えてくれているもの。石油などの資源だって、自分たちの手で作ったものではない。でも、そのことになかなか気付かない。

そして、われわれ人間は文明によっていろんなものを失っている。だから、このストーリーの中で、町が停電になり、文明を剥ぎ取られたときにはじめて人々は気づく……。ストーリーを通じて、僕のメッセージを感じ取ってもらえたらうれしいですね。


――100%楽しい童話作家・絵本作家でありたい

失明の告知を受け、苦悩していたときに、神から啓示がくだったんです。すべての人はあまねく愛され、見守られている。乗り越えられない運命などないと……。僕は全盲のイラストレーター、全盲の絵本作家という職業領域を作った人間ですが、この仕事は「天から与えられた」と理解しています。失えば、必ず得るものがあります。不幸を背負ったと思いこんでいては、一歩も前には進めません。

これからはユーモアあふれる作品を作りたいですね。ナンセンスなやつも。僕が全盲であることは大人には関係があっても、子どもには一切関係ないこと。子どもたちには、僕が全盲であることや失明にあたっての苦悩、落胆を伝えることはやめて、100%楽しい童話作家であり続けよう、と作家に転身したときに決意しました。そして、それは絵本を描いている今も同じ。作者が全盲だということは、ある程度の年齢になったときに知ってもらえればいいこと。そして、そのときに、人間っていろんな可能性を持っているってことに気づいて欲しいと思っています。

   
  ――インタビューを終えて

エム ナマエさんの言葉の中で、「すべてのことは、天から与えられたこと」という言葉が忘れられない。子育てをしていると、「どうして?」「何で私だけが……」とついつい弱音を吐きたくなってしまうことがある。でも、これが天から与えられた仕事であり、すべての人は愛され、見守られているのだから大丈夫、頑張ろうと思えば、何となく元気が沸いてくる。

そういえば、おなかに赤ちゃんが宿ったとき、そしてその命が誕生したときに、心の中で何度も目に見えない誰かに「ありがとうございます」と言った。命はまさに天から与えられたもの。日々育児に追われてしまうと、忘れてしまいがちですが、エム ナマエさんの言葉を胸にとめ、日々の暮らしを見直してみようと思いました。

About us , ご利用規約 , プライバシーポリシー , 免責 , 著作権 , 動作環境 , お問い合せ
Copyright (C) 2005 Jiscsoft Co.,Ltd & SUN-ART Co.,Ltd All Rights Reserved.